柴犬mimi慢性腎臓病記録

突然慢性腎臓病と診断された11歳柴犬との生活を記録します

介護について

100~101日目


DC one dishで提案されたミミの腎臓用療養食、3種類とも完食してくれました。
3種類ともまず匂いを嗅いで食べるかどうか判断するというミミに合わせて、食欲をそそるそうな工夫がされていました。
ただ急に療養食に変更したのでミミはいつもお腹を空かせていて可哀想( ;∀;)


皮膚病の方は木曜に赤い発疹が消えて喜んでいたのもつかの間、またもっと大きい赤い発疹ができてしまいました・・・
保湿剤は毛をかき分け必死に塗布していますが、全身に付けるのは無理ですね。


91歳の母は金曜にケアマネージャーと会って施設入所について相談したと連絡がありました。
今の母が入所の予算も考慮して入所できるのは老健と言われているところのようです。
試しに1カ月入所してみたらとのことだそうです。
弟に知らせたら、「1カ月だけなんて意味が無い」と。
母と弟は同じ建物内に住んでいるのに何故私が間に入ってコミュニケーションの仲立ちをするのか訳が分からない!


母の入所を切望しているのは弟なのに。


一人暮らしだったらもう生きていかれる能力が無いのだから自分で施設入所を真剣に考えてほしいのですが、ショートステイに行って「ここは私の来るところでは無い!」と施設の人に言い放って来た母です。


友人知人の親御さんも自力で歩行が難しくなると入所している方が多いのですが。


最晩年が自分の満足できる場所で暮らせないのは可哀想に思うのですが、私達も自分の暮らしを犠牲にして疲弊してきている。
「どうせ生きても1~2年なのよ」と母は言います。
このままでは確かにそうかもしれないけれど、施設に入所して食べるようになればもっと長く生きられるかもしれない。
どちらが本人にとって幸せなのか・・。


父の介護期間は短かったけれど、夜間のオムツが嫌で私と弟が交代で夜中の排泄(尿瓶)に付き合いましたが1カ月で二人とも体調がおかしくなり眠っている間に自分で外せないようなつなぎを着てもらいました。


介護はされる方もする方も色々な思いがあって辛い。


私も両親の介護を通じて自分の老い先を真剣に考えるようになりました。


夫の母は70代前半に病気で亡くなりました。
短期間の生活の援助は必要でしたが夫は仕事が忙しいと私が担いました。


私の両親の介護に関してはいつも他人事です。


この人は自分が介護を受けるようになったときどう考えるのだろうか・・


写真は昨日近くの多摩地区を散策したときのもの
鎌倉道を多摩市から町田市の奈良ばい谷戸まで歩きました


これは多摩市一本杉公園内
城跡のようですが解説が無いのでわからなかった


これは多摩センター駅近くの縄文時代の住居遺跡を復元したもの


ビルのすぐ裏にあります